震えるほど儚く

好きなアイドルがたくさんいます

また誰かの夢であって

 

 

どりーむの初単独コンサートがあった。

とてもとても嬉しくて、喜ばしくて、どりーむは永遠ではないけれど、きっと、きっと、希望の架け橋であってくれるし、輝かしい未来があるに違いないと信じていた。

 

アルバムの歌、シングル、色んな歌を歌って踊って文字通り最高のものであるはずなんだけど、もう初日が終わった時点で、これは何かが違う、と思ってしまった。チソンちゃんやロンロンの涙は、多分、嬉しいの涙では無いのではないのだろうかと感じてしまった。初の単独コンサートを終えての涙と言うにはあまりにも苦しそうだ、悲しそうだし、何かが終わってしまいそうな何かがそこはかとなく存在しているような気がして、そわそわする。そして今日3日目、それは確信に変わってしまったのだと思う。

あんなに、あんなに嗚咽にも近い姿でなきくずれるチソンちゃんや、今日に限って、マークヒョンに会いたいって話すヘチャンさん、とっても悲しそうに小さな子供みたいな顔して泣くロンロンを見ているともう…青春のすべて、10代の全てをえっせむという事務所でアイドルをすることに捧げてきた少年たちが、こんなに夢も希望もないなんて、あっていい訳ないじゃない…まだまだ毎日が楽しさいっぱい、キラキラの眩しすぎるほどの未来への希望と幸せいっぱいでも足りないくらいなのに、最後かもしれない、忘れないで、と言わせてしまうの本当になんなんだ…。百歩譲って、グループとしての区切りが一旦10代の終わりにつくということは、青春の儚さ、今という瞬間の短さ、そして無限拡張を繰り広げるNCTというシステムの中にあれば有り得ることなのかもしれないけれど、それは、卒業したあとの未来が輝かしいものであること、が確約されているからこそのものであって、今年19の4人が卒業したあと、ヘチャンさん以外のコンゴンズの行方、そしてNCT DREAMというそもそものグループの未来が不透明なままで行使されるべきではないと思う。あの涙は、まだこちら側には知らされることのないなにか始まるか、もしくは、なにかが終わってしまうかを知っている涙だ。きっと。笑顔で楽しく、ほろりの涙、例えるなら、アオハルしよ?で見せた西畑くんの涙がきっとそうで、映像で見る限り、今日のどりーむの涙は絶対それではないでしょ?

 

もう色んな言葉を思い出してしまう。マークが、NCT Uのかたちでどりーむ7人で活動できないか本気で掛け合おうとしたこと、vライブをする度にマークが居ないことを恋しがって寂しがって、電話したり名前を出したりしてくれること。マーク卒業のドリショ、今回のおそらくコンゴンズ、もしくはどりーむ最後のドリショで、いつもいつもおにいちゃんたちを見送る立場にあるチソンちゃんが本当に悲しそうに切なそうにして泣くこと。こんな思いしてまで、無理してまでアイドルに専念した結果がこれなんて、あまりにも寂しすぎるんだよねぇ。ただ、どりーむが好きで、一緒にいてくれたら嬉しくて、近い未来、みんな大人になってもふざけ合って楽しそうに笑ってどりーむが世界一幸せだみたいな顔して過ごしていて欲しい、ただそれだけなのに、酷くそれが難しいことに感じる。一緒に活動できなくなったら、名前を出すことも、寂しいって呟くことも難しくなるのかなぁなんて考えてしまうよね。意外と7人完全体でも、6人完全体でもみんな揃って活動したことで意外と短くて、そうだなぁ、真っ直ぐ目を向けられないほどのキラキラも、発展途上の危うさも、ふいに見せる青春を犠牲にした切なさもその甘さも苦さもなにかを失ってできたものであって、それが恐ろしく美しいんだよなぁ、NCT DREAMというグループは。

 

 

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どりーむ、幸せになろうな、お願いだから。