震えるほど儚く

好きなアイドルがたくさんいます

恋せぬふたりを最後まで見た

 

Hirokazu Matsuda on Twitter: "#works よるドラ 恋せぬふたり — 今週最終回を迎えた“恋せぬふたり”ですが、台本はすべて異なる表紙を作成しました。 各話に登場する食べ物をモチーフにしています。 https://t.co/vkvtXwHSIn #恋せぬふたり… https://t.co/7vIJ4yyqpj"

濱 正悟 on Twitter: "#恋せぬふたり 最終回もありがとうございました! また、どこかで会えますように〜。 by カズくん(さん)… "

 

恋せぬふたりが最終回を迎えた。高橋と咲子はお互いについて真剣に話し合いをしてそれぞれらしい生き方をその段階の自分に応じて選んでいく・あるいは保留のままでいるということを選んだように思えた。

 

こういう題材のものを描いたドラマというものを初めて見た。毎週考えることが沢山あった。咲子が自分についてあらゆる角度から思考したり認めあったり寂しくなったりする様子を眺めながら私も寂しくなったり心が軽くなったりしつつ私いつかこういうことができるようになれるのかと自問自答する時間だった。

 

だから途中で咲子に共感できなくなってしまった時はある種の希望を失ったような気持ちになったけれども咲子はアセクシャルでありながらそれと同時に咲子という独自の世界を見つめている人なので咲子に共感できないからといってそれがイコール心の拠り所を失ったということでは無いのだと今は思っている。咲子が良かれと思って起こす行動は私にとっては良いことにはなり得ないし、私にはほんの少しだけ諦めから飛び出すということよりもそこまでの強さは無いのでほんの少し毎日諦めながら逃げながら暮らしているけどそれは自分でいることを諦めた訳じゃないと少しだけ、少しだけ言い訳をしたい。私はやっぱり少しだけ諦めながら過ごす人生もきっと悪くは無いのだと思いたいのかもしれない。

 

 

最後の方で千鶴が少し出てきた時に心がぎゅっと締め付けられるような気持ちがした。千鶴もどこかで幸せにくらしていたらいいな。