SULLI 설리 '고블린 (Goblin)' MV - YouTube
ソルリって、本当にずるいなぁ、と思う。どんなに自分勝手でも、自由奔放でもこういうガーリーなのに閉鎖的で少しだけなにかが狂ってるような事やらせたら誰よりも上手くやってしまう、ソルリ以外にこんなことやらせたってそんなの二番煎じゃん、と思わせてしまうんだもん…どんなに頑張ったって、誰もソルリにはなれやしないんだ
どんなにもやもやしたって、ソルリは可愛くて最強なんだよな。ずっとずっとソルリだけは少女でいることをやめなくて、自由気ままでたまにしか出てこなくて、縛られるのが嫌いで、不安定の中に存在する偶像なんだ、きっと。4人は大人になって、羽を広げて旅立っていくかもしれないけど、ソルリだけは、あのpink tapeの扉が閉まったあとも1人で夢のつづきを見続けているようで、あの日の少女たちを封印しないでいてくれるような気がして。頬ずりして大切に大切にしたいくらいの愛らしさはそのままに棘の先に含んだ毒がパワーアップしてる。
やけにカラフルなのに無機質だ。あぁ、愛さずにはいられない、と思う。
だからね、この曲が出た時、ソルリの存在こそがf(x)でほかの4人はお荷物だったんだ、という意見を見てくやしくてたまらくなってしまった。だって、確かにね、ソルリの少女性というものがf(x)のコンセプトの軸になっていたことは頷けるし、ソルリの居なくなったf(x)は狂気のあるファンタジーから完成された透明感の中の迷路みたいだったから。4人になったf(x)は、もう少女ではなかったかもしれない。でも、たしかにf(x)はいつまでも女の子であることは辞めなかったと思う。少し大人になって色々な痛みを知って不条理を嫌という程理解してしまった、誰よりも強くて脆い女の子だ。
だから、そんな素敵な女の子たちをお荷物だなんてそんな言葉で片付けないでほしいんだ。5人のf(x)も4人のf(x)もソルリも、青春を彩るお砂糖のように甘くてピリリとする夢だ。私はまだその夢から覚めたくないだけ。エレショやpink tapeが5人だから完成されたように、4wallsは4人にしかなし得ないことだ。ソルリがいなくなるという激痛を伴ってこの世に生み出されたアートワークだ。f(x)のことはきっとこれからも好きで好きでたまらないだろう。恋しくて恋しくて忘れられない初恋のような気持ちだろう。そんな気持ちと同じくらい、ソルリのこともきっと好きだ。嫌いになんて、なれないんだ。ソルリの毒に飲まれっぱなしだ。ずっと。